gokigen-youのブログ

地味な日常を、ひっそりと綴るブログです。

ごきげんよう、再び。

ごきげんよう。


いろいろあったよ!この3年とちょっと。


長男の受験に次男のコロナ感染~からの不登校、からの二人とも卒業を迎え、新たに高校進学と中学入学。

そしてどっちも時々不登校。そしてどっちも反抗期真っ最中!


特に長男は口を開けば「黙れ、○ね!」って言うからムダに腹が立つけど、これって「オッス、おら悟空!」のあいさつみたいなもんだと思えばよろしいか?


対する次男はおっとりマイペースな上に秘密主義。かたくなに口を開かない上に何にでも時間がかかり急ぐことがない。「えっ、今それ言う?」となり私が慌てて対応しなくてはいけないことが多々ある。

次男よ、あなたの辞書に「急ぐ」という言葉は存在しますか?

二人の大男相手にするにも、反応が両極端すぎてカオス。


私は私で、次男の状態が落ち着くのを待ってから、持病の手術をした。

主治医からは「腹腔鏡だから6日で退院ね、2週間したら仕事復帰できるから」なんて軽ーく言われてましたけど。

腹切る以上は何が起きてもおかしくはないわけで。

オペ二日後に緊急輸血&手術になってしまった。


ホントね、亡くなる前ってこんな感じなのかと。

創部が痛いのは当たり前、えらくてしゃべれない、体が重くてベッドから起き上がれない、全てがセピア色に見え、何とか体起こして食事するにも3口ぐらいがやっとで味もわからない、ロウソク食べてるみたいだった(ロウソク食べたことないけど)。

まさか先生も出血してるとは知らず、直前まで主治医の「歩け」「食べろ」が容赦なかったけどね(怨)。


10日間の入院で済んだものの、何度か出血して半年くらい療養生活。


ムダに療養が間延びして、就職活動が遅れた。

術後に肉体労働は無理だと思い(今後正社員にもなれない職場だったし)退職しといて正解だったけど、療養後に就職した職場がまたブラックで。


事務採用だったのに使用期間が過ぎたら介護と半日清掃、しかもコロナ病棟(就職時に隠されていた)、毎日のようにエンゼルケアもやった。

術後1年以内に重労働に戻ってしまい体調が悪化、ここで定年まで働くのは無理と考え退職。


生きるって…働くって…大変。

だけど私、生きてる。

食欲の秋だから②

ごきげんよう。


夏の暑さの中、食事の支度はキツかった。

そして食欲もわかず冷たいものばかりとっていました。


朝晩肌寒くなるこの季節、食べたくなるのは体の温まる煮込み系。

そう、大人も子供もみんな大好きカレーライス。



そろそろ甘口では物足りない次男、だけど中辛ではお腹に刺激が強いようです。

(そして何より、私のお腹も刺激物が受け付けなくなってきて。)


甘口と中辛=1:1が調度いいです。


メーカーによって味わいが本当に違うの。

ゴールデンカレーの甘口+こくまろの中辛の組合せは、スパイシー過ぎずまろやか過ぎなくて、子供たちもお気に入りです。


もともと食べることが大好きな次男、私より食べる!


不規則な生活とストレスであまり食べれなかった長男も、適応教室に行き始めてから体も心も健康になり、食べる食べる!


週に2回はカレーライスDayです。

不登校、その後

ごきげんよう。


いろいろあったよ、そう、長男の不登校その後のことです。


今年度、あのM先生が異動になり、もう一人の話せる先生もいなくなってしまいました。

コロナのこともあって先生方の対応できる時間がなくなり、給食時間帯の登校は無理に。


仲の良かった友達が給食の配膳をしてきてくれていましたが、そうして会うこともできなくなり、形だけの放課後登校に行く気がなくなっていきました。


担任の先生とはそれなりに関係は作れていたけれど。

なんせまだ3年目、加えて今時の若者なのでいろんな意味で超ドライ。口癖は「ま、仕方がないよね。そんなもんだよ。」


放課後登校が間遠くなっても、先生からの電話は週に1回とか。プリントも溜まりに溜まってからとか。

そりゃ関心もわきません。


出掛けないから身だしなみもひどくなり、毎日の目的もなく、先の見通しも立たない。


やり場のない思いや焦りが恨み辛みになって、毎日私に降りかかります。


そろそろ本人の中でも学校から離れることを受け入れられたかもしれない。

長男と本当の気持ちがどうなのか、話し合いました。


結果から言うと、市がやっている不登校の子のための適応教室に夏前から通っています。

現在は入級生となり、毎日楽しく通っています。


ここに辿り着くまで本当に長かった…。


最初は体験というかたちで週1日2時間だけの参加、校外区ということもあり送り迎え必須でした。


その体験参加の許可を、毎回中学校を通じてとらないといけませんでした。

体験の間は適応教室と直接やりとりはできません。


行きたい日の前日までに中学校に電話→中学校から適応教室に電話して確認→適応教室から中学校にOKの連絡→中学校からうちにOKの連絡。

中学校を介している分、ムダに時間がかかる。

しかも中学校からの連絡が届かないor届いてないことが多い。


そして中途半端な時間帯の送迎。

最初の2回は長男の不安が強いこともあり、仕事の休みをとって送迎しましたが、それ以降は母にお願いしました。


体験の週1日2時間を1カ月続けた後、次週に週5日2時間通えるようになり、その1週間後に週5日丸一日。

その後、正式な入級の話し合いがあり、晴れて入級生に。


その間にも何度か話し合いに行きました、中学校にも適応教室にも。

ここまでくるのは大変だったけど。


長男が安心できる居場所を見つけられて、毎日友達に会うのを楽しみにしたり、少しは勉強したり、朝起こしても怒らなくなったり、弁当箱を自分で洗ったり。


自分に合った環境だと、どんなことにも前向きに取り組めるんだなぁ。


「何でもっと早く適応教室行かんかったんやろ、本当に激しく後悔するわ。去年の自分に言ってやりたい。」


確かに、今まであまりクラスメイトに恵まれなかったけれど、適応教室に来てる子は優しい子達ばかりです。

それに運動も勉強も提出物も、やって当たり前できて当たり前とは言われません。


いずれまた環境や人は変わっていくもの。

先のことを嘆いたり心配ばかりせず、今いる人や今いる環境の中で、心のエネルギーをたくさん蓄えていってくれるといいな。