gokigen-youのブログ

地味な日常を、ひっそりと綴るブログです。

やっぱりパンナコッタだった。

じみー

ごきげんよう。


何気なくブログを開いたら約1年たってました!なんてこった、パンナコッタ!

この一年ホントにいろいろあったよ。


あまりの身体の不調から、絶対病気に違いない!と病院に行き、調べてもらったら甲状腺の病気だったよ。


私は甲状腺のホルモンが少なくなる方だったので、一年中とにかくいつでもどこでも寒い、疲れる!汗が出なくて、髪も肌も目も乾燥するし唾液も減って、動きが鈍く、体力・体力ががなくなって、頭がボーッとして精神的にも無気力になって…。

言うなれば急激に老化がおきたような感じでした。


お薬を飲み始めて、数ヶ月。ジワジワ汗かく!夏ってこんなに暑かった?という感じを久々に味わいました、乾燥はちょっと良くなった程度。

朝薬を飲めばだんだん頭がすっきり(←爽快さはない、モヤモヤが晴れるくらい)して、身体が動く感じ。

年齢的なものもあるから元気ハツラツとはいかないし、生きてる間は薬を飲み続けないといけないみたいだけど。

薬さえ飲んでれば何とか普通に生活できるからね、ヨカッタヨカッタ。


そして一番辛かったのが、父が病気発覚から半年で亡くなったこと。

予後が悪いと言われる病気で、わかった時のショックははかりしれなかったけど、その病気の中でもかなり進行が早いタイプでした。


私の働いている病院に通っていたけど、患者さんの中でもここまで早く進行する人ははあまり見たことがなく。

比較的新しい病気で特効薬もなく、それでも「効く」と言われる薬を飲み、副作用に苦しみみながら、日に日に悪くなっていく父に、何もしてあげられなかった。


亡くなる当日も頑張ってごはんを食べ、出勤する私に「大変やな(頑張って)」と言ってくれた。

不器用で、めちゃめちゃ我慢強くて、声が大きくてどこにいるかすぐわかる人だった。畑仕事が生き甲斐だった、お年頃の長男次男の部屋をノックせず開けて顔をみたら満足してすぐ帰っていった、人のために損な役回りを引き受けてばかりいた。


いつもの場所に…実家のリビングに、田んぼやうちの畑や道端に、どこを見ても父がいない。

今までいたはずの場所に、姿がない、声がしない、いない。

ホントに我慢強い人だったからね…辛かったろうな、苦しかったろうな、悔しかったろうな。

あなたがいなくて寂しいよ。

親不孝な娘でごめんね、私と子供たちが生活できるように最後まで気にしていてくれたね、ありがとう。


今日みたいに明日が来ると思って生活しているけれど、それは当たり前じゃない。

病気や事故、災害など、ある日突然この日常が崩れてしまうかわからない。

めんどくさくて地味な毎日だけど、当たり前のこの日常が、本当はいかに貴重なものなのかを父をなくして改めて思いました。


大切な人にはちゃんとおはよう、おやすみ、ありがとうを伝えよう。手紙や電話、なんでもいい。

自分の身体も心も大切にしよう。

この先も今日を重ねられるように、もしもの時に後悔しないように。


そんな父の病気発覚頃、異動?みたいなことがあって。

転職して3ヶ月で私の部署が大幅縮小され、働く時間も減り時間帯も変わってしまって、大ショック。

ただ父が通院してくるから「辞める」のは考えず、1(元々いたとこ):4(異動先)の割合にしてもらい続けることに。

異動先の仕事も慣れてはきたけどカスハラが常態化してるし、そもそもブラック企業だから転職しようかしら。


そしてそして、もう1つ。

今年は次男の誕生日に、近所のケーキ屋が軒並み休業日だったのですが、続けて長男の誕生日もこれまたどこもやってないという。

なんてこった、パンナコッタ!


そんなことでパンナコッタを作ります。

あの日の青

じみー

ごきげんよう。


雲一つない青空、爽やかな風、なーんて心地いいんでしょう。


体調やメンタルが嫌でも天気に左右されるお年頃。

夏の猛暑とギラギラ照りつける日差しは頭痛やめまいの原因になるので出掛けられなかったけど、この時期の晴れの日の日差しと気温なら屋外でも過ごしやすい。

今出掛けなくて、いつ出掛けるというの?


ということで、朝作ったお弁当の残りをちゃちゃっと紙コップに詰めて(←エコじゃないの、使い捨て)、おにぎり握って、レッツゴー!


自衛隊基地の近くまで行ってきた。

週末に航空祭があるから今週は何日か練習で飛ぶらしい。


航空祭前の飛行演習だけあって通常の飛行訓練よりギャラリーも多かったよ。

バズーカみたいなカメラ持った人とか、平日なのに人がわんさかいた。


何度も頭上を旋回する戦闘機。

懐かしいな…子供たちが小さい時を思い出す。

キラっと光る機体が轟音と共に目の前の青空を切り裂くように飛んでいくのを、二人とも目をキラキラさせて、すごいね!かっこいいね!って喜んで、ひたすら空を眺めたあの頃。

ひとり親で大変だったけど、子供と過ごすささやかな楽しみや喜びがたくさんあった。


もう子供と出掛けることはほとんどなくなった。

長男とはもう口もきけないけど。

次男はたまにまだ反抗期が顔を出すときもあるけど、やさしく明るく頼りになる存在。

あの頃は毎日必死で「子育て早く終われ!」と思っていたけど、気づけばもう終わりのよう。


今日も空が抜けるほど青くて広くて、本当にいい日。

仕事とお金と私と母

じみー

ごきげんよう。


人生100年と言われるこのご時世…更年期という老化がはじまってるのにまだ折り返し地点だよ、後半は生き地獄ですか?


昇給も賞与もない最低賃金の職場から転職して約半年…奮闘むなしく現在無職です。

転職先を探さずに踏み切った退職は、蓄えで当面はしのげるものの、当然ながら生活にも心にも余裕がなくなる。


毎日のように2時間無給の早出と残業。3Kなだけに過労とストレスでメニエール病と偏頭痛が悪化。

止まらない吐き気、延々と周り続ける頭、音も光りも匂いも苦痛、痛いのに棒で突き刺したくなる頭、ベッドから微塵も動けない。

ムダに意識だけはしっかりしていて、この程度では死ぬことはないだろうという実感からとにかく耐えた。

救急車を呼べば点滴や注射で早く楽にはなるだろうけど、元同僚からアンナコトやコンナコト…想像するだけで恐ろしい。


休職から強引に退職に持っていったけど。

メンタルにも影響が出て、いや、本当はメンタルの方がもうやられてたんだと思う。


社会は怖い。

仕事ができる人・長く勤めている人が正義、稼げる人が偉い。仕事ができれば社会性がなくても人格が歪んでいてもいい。人を蹴落としてでものし上がろうとする仕事への意欲。

そんな価値観で人を操ろうとする。


だがしかし、働いてお金があれば何でもできて幸せかというとそうでもないことも知っている。


働き盛りは大して親戚付き合いもせず、自分が身の回りのことができなくなった途端、何でもかんでも電話をかけてくるようになった父の義理姉。血のつながらない義理妹であるうちの母に毎週のように電話で助けを求めてくる。

家事代行も公的な支援も、金銭的には十分受けられる、食材ですらネットでも買える時代だというのに、そんな発想すらなく、情報を与えても知ろうともしない。

有り余るほどの土地と建物。なのに何一つ、お金で解決しようとしない。


そんな身内を「かわいそう」と足しげく通い援助しているのは母なので、まぁ私には実害はないのだけれど。

「何でもやってあげたい病の母」は、今の時代わからないことも多く、何かと私に頼ってきてはかわいそうな人の問題を解決しようとする。

車椅子生活しててケアマネ入っているらしいが、受診するなら介護タクシーの話くらい出るでしょ?おかしくない?

母が叔母の家まで行くだけでも往復1時間以上かかるのに、運転できる旦那もいるのに、病院の送迎とか、買い物とか、来てくれっておかしくない?

そのへん問い詰めると「知らない、だってそこまで言えないし聞けないでしょ?あの家のことなのに。」

なら私に聞くなよでしかない。


現在と将来の生活費すらままならない働き方で、養育費や助成金にお世話になり、持病を増やし身を削りながら必死で働く私を、そういう生き方しかできないんだから仕方がないし、そんな私を「恵まれている、幸せだ」と言う母。


もちろん私も子供へも何かと援助してくれていることには感謝でしかない。

ただ、できることややってほしくないことにまで手を出し、拒否すると「私の気持ちを受け取ってくれない(冷たい娘)」と嘆く母。


「私がいないとダメだから」とどこへ行ってもお節介にあけくれ、「お母さんほど人のために動ける人はいない、大切にしてあげてね」とまでまわりから言わしめる母。

お母さん、幸せですか?


お金がないと生きていけないけど、お金があっても困らず生きていけるわけでもない。

何とか生きていける経済力と、ほどほどに健康な体・それなりに健全な心・ある程度の知能、それさえあれば私は…私は…。


仕事とは?お金とは?幸せとは?生きるとは?