不登校、その後
ごきげんよう。
いろいろあったよ、そう、長男の不登校その後のことです。
今年度、あのM先生が異動になり、もう一人の話せる先生もいなくなってしまいました。
コロナのこともあって先生方の対応できる時間がなくなり、給食時間帯の登校は無理に。
仲の良かった友達が給食の配膳をしてきてくれていましたが、そうして会うこともできなくなり、形だけの放課後登校に行く気がなくなっていきました。
担任の先生とはそれなりに関係は作れていたけれど。
なんせまだ3年目、加えて今時の若者なのでいろんな意味で超ドライ。口癖は「ま、仕方がないよね。そんなもんだよ。」
放課後登校が間遠くなっても、先生からの電話は週に1回とか。プリントも溜まりに溜まってからとか。
そりゃ関心もわきません。
出掛けないから身だしなみもひどくなり、毎日の目的もなく、先の見通しも立たない。
やり場のない思いや焦りが恨み辛みになって、毎日私に降りかかります。
そろそろ本人の中でも学校から離れることを受け入れられたかもしれない。
長男と本当の気持ちがどうなのか、話し合いました。
結果から言うと、市がやっている不登校の子のための適応教室に夏前から通っています。
現在は入級生となり、毎日楽しく通っています。
ここに辿り着くまで本当に長かった…。
最初は体験というかたちで週1日2時間だけの参加、校外区ということもあり送り迎え必須でした。
その体験参加の許可を、毎回中学校を通じてとらないといけませんでした。
体験の間は適応教室と直接やりとりはできません。
行きたい日の前日までに中学校に電話→中学校から適応教室に電話して確認→適応教室から中学校にOKの連絡→中学校からうちにOKの連絡。
中学校を介している分、ムダに時間がかかる。
しかも中学校からの連絡が届かないor届いてないことが多い。
そして中途半端な時間帯の送迎。
最初の2回は長男の不安が強いこともあり、仕事の休みをとって送迎しましたが、それ以降は母にお願いしました。
体験の週1日2時間を1カ月続けた後、次週に週5日2時間通えるようになり、その1週間後に週5日丸一日。
その後、正式な入級の話し合いがあり、晴れて入級生に。
その間にも何度か話し合いに行きました、中学校にも適応教室にも。
ここまでくるのは大変だったけど。
長男が安心できる居場所を見つけられて、毎日友達に会うのを楽しみにしたり、少しは勉強したり、朝起こしても怒らなくなったり、弁当箱を自分で洗ったり。
自分に合った環境だと、どんなことにも前向きに取り組めるんだなぁ。
「何でもっと早く適応教室行かんかったんやろ、本当に激しく後悔するわ。去年の自分に言ってやりたい。」
確かに、今まであまりクラスメイトに恵まれなかったけれど、適応教室に来てる子は優しい子達ばかりです。
それに運動も勉強も提出物も、やって当たり前できて当たり前とは言われません。
いずれまた環境や人は変わっていくもの。
先のことを嘆いたり心配ばかりせず、今いる人や今いる環境の中で、心のエネルギーをたくさん蓄えていってくれるといいな。
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